Q&A(あるいはQ&Aらしきもの)

こちらでは、皆さんのご質問に回答していこうと思います。いえ、正確には、皆さんが思うであろう疑問に、私が勝手に回答していこうと思います。すべての回答は、選考委員の高橋源一郎さんを含む誰かの文章の引用で構成されておりますが、これは高橋さんからのアンサーではなく、私が、これがアンサーのひとつになるかもしれない、という意図で引用していることをご承知おきください。これらは、高橋源一郎さんを含む誰かの回答ではありません。引用を行った、私の回答になります。

Q 小説ってよくわからないけど、何だか面白そうだから応募してみたい。でも小説ってどうやって書くの?

『一億三千万人のための 小説教室』高橋源一郎/岩波書店
www.amazon.co.jp/dp/4004307864

Q 締め切りが半年なんて短いよ。もっと伸ばしてよ。

「この小説は二か月で書いた。前の『ジョン・レノン対火星人』になった小説が八十一年の群像新人文学賞に落ちて、その後、担当編集者から「次の作品はどうなっているの?」と言われて、「準備しています」と言ったら、「書いて。次の長編賞の締め切り二か月後だから」と。四月末の群像新人文学賞の結果が終って、六月末に次の群像新人長編小説賞の締め切りがある。「二か月で六百枚書け」って、むちゃくちゃな話なんですけど。」

『現代作家アーカイヴ1: 自身の創作活動を語る』東京大学出版会の高橋源一郎さんの章より引用。

※主催者注
この小説…『さようなら、ギャングたち』高橋源一郎

Q 小説をかいてみたいなあ。思いました。だけどわたしは文章がヘタクソっていっぱい言われます。漢字もぜんぜん知りません。大学にいったともだちとLINEしてるとよく「それは わ じゃなくて は だよ」って言われます。他にもいっぱいいわれます。こんなわたしに小説なんて書けるのかな

「センさんは文字が書けなかったのです。センさんが書いたのは短い文章で、誤字脱字もあるし、漢字はほとんどなくて、ひらがなとカタカナも交じっていますよね。これが、木村センさんが生涯に唯一書いた文章です。彼女は64歳で、遺書を書くために文字を習ったんです。これは、僕の大好きな文章です。(中略)文章は下手だし、誤字脱字ばかりだし、おかしなところしかないのに。でも、やっぱり、わかる。何かが強く伝わってくる。」

『答えより問いを探して』高橋源一郎/講談社より

Q 特別な経験をしてきたわけじゃないし、ヤバい人生を送ってきたわけでもない。才能もないと思う。今までの人生で人に褒められたこともない。そんな私に何か書けるとは思わないです。

「つまり、鴎外、漱石、藤村というビッグネームたちは、自分のなかに豊かな表現すべき何物がある。剰余の何か、無意識の何かがあって、そこに大きな豊潤な世界を作り上げていく。けれども、俺はないよ、と、そういうのものは、何もないんだ。でも、そのことをよくわかって、なおかつ書いている。(中略)つまり、啄木のような無意識の天才のようにはできない。鴎外のような豊かな世界を作ることもできない。がりがりにやせた裸の世界で、認識だけはポロッと出てくる。何かを表現しようとする人たちにとって、一番近いのは四迷のような人じゃないかと思うんですよね。」

『現代作家アーカイヴ1: 自身の創作活動を語る』東京大学出版会の高橋源一郎さんの章より引用。

※主催者注
四迷とは、二葉亭四迷(1909年に死没)のこと。日本の近代小説の開祖として、自然主義作家へ大きな影響を与えた。

Q 小説って、やっぱり本をたくさん読んで、いい大学に行って、そんな人が書くものでしょう?アルバイトを(あるいは風俗の仕事を、あるいは引きこもりを、あるいは派遣の仕事を)してきただけの私には書けるとは思わないです。

「ずっと肉体労働だけしていました。(中略)毎朝早く起きて、一日肉体労働をして、うち帰って焼酎飲んで寝ると。本は六年くらい一冊も読まない。でも、どこか自分のなかで、それじゃ何か違うよねと思ったかもしれません。要するに、何をやってもいいんです。最終的には、自分の声を聴くところかな。」

『現代作家アーカイヴ1: 自身の創作活動を語る』東京大学出版会の高橋源一郎さんの章より引用。

「誰も呼んだことのないもの、誰も見たことのない文章を、ぼくは書きたかった。そのための時間も欲しかった。武器となることばを蓄えるために本も読みたかった。だから、ぼくは、ぼくから時間や情熱を奪いとる、「労働」にうんざりしていた。そんなことで無駄な時間を使っているうちに、どんどん追いこされてゆく(誰に?)と、ぼくは焦った。ぼくの書くものは、どれも、誰かの書いたものに似ていた。ぼくの書いたものの中に現れる意見は、みんな、誰かの受け売りだった。そのことに気づくと、僕の胸の中は焼け焦げそうになった。ぼくは、いろいろなものを書いた。でも、どれも、ぼくを満足させることはできなかった。ほんとうのところ、ぼくには、なにを書けばいいのかわからなかったのだ。いま思うなら、ぼくは、まず、ぼくが見ないようにしていた「労働」についてこそ書くべきだったのかもしれない。ぼくが生きていたのは、そこだったのに。それがなければ、生きることができなかったのに。」

『ぼくらの文章教室』高橋源一郎/朝日新聞出版より引用

Q 何でもOKみたいな雰囲気出してるけどさ、どうせエロいのとかグロいのとか何か馬鹿にしたのとか、不謹慎極まるやつは、落とすんだろ?なんか大きいこと言ってるけどさ、どうせ炎上とかビビってんだろ?

「我々は、この作品の売上を、すべて、被災者のみなさんに寄付します。そう来るか。いや、いいと思うけど。なにより、その気持ちが大切なんだ。チャリティーAV 恋する原発 ちょっと待った。そういえば、さっきからエッチな呼吸音やお猿さんたちの「自家発電」が続くので、妙だと思ったんだ。これ、ほんとにアダルトヴィデオだったのかよ! ごめんね、AVで」

『恋する原発』高橋源一郎より引用

Q 色々言ってくれたけど…私は頭が悪いから小説なんて書けないよ。中学も途中で辞めちゃったし、仕事も続かずに飛んでしまうし、たまに風俗のお仕事もしてしまうし、タコの足が何本あるかもわからない。自分の名前の漢字も間違えちゃう。私には無理だよ。人と喋っても「何言ってるの?」「言ってることがよくわからないよ」ってたくさん言われます。無視されたりもします。私はダメです。

「そうです。ジョバンニこそ、小説を書く資格の持ち主です。なぜなら、彼は、完璧な「バカ」だからです。知識がないから「バカ」なのではありません。他の人たちと同じように、世界を見ることができないから、「バカ」な(人間と見なされてしまう)のです。」

『一億三千万人のための 小説教室』高橋源一郎/岩波書店より引用

Q わかりました。とりあえず書いてみることにしました。でも…一行も書けません。もう三日も机の前に座っているし、彼氏のたけしくんとのデートしている時だって「どんな小説を書こうかな」って考えているくらいです。(しかも、たけしくんには「おい、最近ぼーっとしてばかりじゃないか。俺と会ってる時くらいはちゃんと俺を見てくれよ」と言われる始末!)でも、書けないんです。最初の一行すら書けません。私にはやっぱり、無理なんでしょうか。

「なにから書きはじめたらいいのか?どんな準備をしたらいいのか?てゆーか、どんなことを書いたらいいの?いや、そんなことより、わたし、小説なんか書けるんでしょうかね?その他、いろいろ。あまりに多くの問題があなたの前にあって、あなたは、一字も書きはじめられない。けっこう。あなたは、前途有望です。もし、あなたが、なんの不安もなく、さっさと書きだすことができたのなら、そっちの方が、わたしは心配です。なぜなら、新しいことをはじめるのは、だれも歩いたことのない道を歩きはじめることは、なにより勇気を必要としているからです。では、やってみましょう。あの。はじめる前に、ひとこといっておきます。わたしは、とても、あなたがうらやましい。なぜなら、あなたは、まだ小説を書いたことがないから。あなたには、小説という未知の世界が待っているから。あの、素晴らしい世界を、これから、ゆっくりと歩きはじめることができるのだから。(中略)小説の、最初の一行を書きはじめる前に、なにより、あなたは、絶対、書く前の沈黙を味わわなければならない。」

『一億三千万人のための 小説教室』高橋源一郎/岩波書店より引用

Q 少し書いてみました。でもきっとこれは気持ち悪すぎて、小説なんかじゃないかもしれません。これをあなたに送るのが、怖いです。

「きっと、この主人公である刹奈芝之さんには、わたしたちとはちがったふうに世界が見えているに違いない。この世には、お互いの体から放出したウンコやゲロ、を食べあうぐらいの愛がある、とは(わたしは、御免ですが)、なんとすごいことか」

『一億三千万人のための 小説教室』高橋源一郎/岩波書店より引用

Q 書いてみました。でも馬鹿みたいな文章しか書けません。見てください

「今日は夜ごはんがおいしかった。サンマのしおやき。おいしいなあ。」

私には小説を書く才能がないのでしょうか。諦めたくなってきました。

「この頃中断していた書くことを再開した。「ぼくはこのコップが好きだ」という単純な一文を一日中書くような生活を続けて、「失語症患者のリハビリテーション」の日々を送った。」

講談社文芸文庫より発刊されている高橋源一郎さんの小説の年譜より引用。

※主催者注
この頃…高橋さんは60年代に活動家として街頭デモなどに参加し、逮捕拘留をくり返し、留置場と少年鑑別所に入った。失語症となり、70年代の間は10年間ずっと肉体労働に身をやつしていた。その彼が、80年代に入り、ようやく、ペンを取り、言葉を書こうとし始めた。「この頃」とは、その、初めて小説を書こうとした時のことを指していると思われる

Q 書いてみたんだけど、これは詩かもしれない。小説じゃないかもしれない。応募してもいいのかな。

「僕はよく詩人と話すことがあるんですけど、みんな、「これは詩だ」って言うんです。僕は「小説だ」って言う。いまだにそこは揉めているんですね。」

『現代作家アーカイヴ1: 自身の創作活動を語る』東京大学出版会の高橋源一郎さんの章より引用。

Q とりあえずは少し書けました。でも全然進まないです。諦めた方がいいかな。

「『さようなら、ギャングたち』は一日二十枚でしたが、このとき一日二行。覚えているんですけど、二行書いて、また一番最初から読むんです。読むだけで半日ぐらいかけて、そして二行書いてというのをひたすらやっていました。」

『現代作家アーカイヴ1: 自身の創作活動を語る』東京大学出版会の高橋源一郎さんの章より引用。

Q 今、書いてます。私には好きな小説家がいます。なんとなく、私の小説はその人の小説に似ている気がしてきました。これは「パクリ」ってやつなのでしょうか。もちろんコピペで丸写しはしていません。でも、なんとなく、似ているのです。こんなの、ダメですよね…

「わたしが、あなたに学んでもらいたいのは、まねること、です。しかし、あなたは、また不安になってはいないでしょうか。なぜなら、あなたは(もちろん、わたしもまた)、なにより、独創や個性を重んじるよう教えられてきたからです。また、小説を書く、ということは、なにより、独創や個性の力を必要としている、と考えられるからです。だが、独創や個性に至るには、なにが独創でなにが個性なのかを、知らねばなりません。そして、それを知るためには、なにかをまねしてみること、まねすることによってその世界をよりいっそう知ること、そのようにしてたくさんのことばの世界を知ること、さらにそのことによって、それ以外のことばの世界の可能性を感じること、が必要なのです。」

『一億三千万人のための 小説教室』高橋源一郎/岩波書店より引用

Q 書いてみたけど、これって小説なのかな。小説を応募しないといけないんですよね?これって応募してもいいのかな。

「小説は、詩に似たり、評論に似たり、エッセイに似たり、テレビドラマに似たり、する。なにを、どう書いても、小説であることが許される。それが、小説なのです。」

『一億三千万人のための 小説教室』高橋源一郎/岩波書店より引用

Q 途中に絵や写真を入れてみました。なんだか入れたくなったからです。これって文章じゃないから、アウトですか?

「わたしは、これも、小説だ、と思ったのです。(中略)だから、マンガの横に、そっと置かれている、セリフや情景描写も、ただ、そのためではなく、もっと別のなにかを、わたしたちに感じさせてくれるなら、それも小説なのだ、とわたしはいいたくなる。」

『一億三千万人のための 小説教室』高橋源一郎/岩波書店より引用

※主催者注
これも…写真とその横にばらばらに並べられた言葉

Q 書いているとなんだか気持ち悪くなってきます。書けるんですが、書きたくなくなってきます。書こうとすると嫌な気持ちになってしまいます。昔の色んな嫌なことを思い出して、吐き気がしてきます。

「村上龍:(主催者注:書きながら)ほんと、自分でいいますよ、がまん、がまんと。原稿用紙のこっちの側のさ、白い紙に「がまん」と書いたりさ。
村上春樹:ぼくは書いてる途中で悪態ばかりつくのね。ちきしょうとか、くそとかさあ。で、女房おこるわけ、聞くに堪えないってさ(笑)。もう小説書くの止して平凡な夫に戻りなさいってさ。それでさ、何といえばいいのかって聞いたらね、ちきしょうというときはワンワンといいなさい、くそっていうときはニャンニャンていいなさいって(笑)。やったんだよ、ばかばかしいよ(笑)。それにたとえばさ、道歩きながらいろいろ考えるでしょう、集中するでしょう。それでワンワンとかニャンニャン、とか言っちゃったりしてさ、歩きながらさ(笑)。子供なんか振り返るのね。」

『ウォーク・ドント・ラン 村上龍 vs 村上春樹』村上龍 村上春樹/講談社より引用

Q 書けました。(あるいは途中まで書いてみました。)でも読み返しても昔の携帯小説みたいで、こんなもの応募する価値もない気がしてきました。応募するのはやめて、Twitterの裏垢とかに投稿して終わりにしてもいいですか?

「わたしたちが、『恋空』を、あるいは『布団』を読んで感じるのは、ひとつの熱狂です。これらの作品の作者たちは、なにかの「始まり」に遭遇して興奮しています。そして、そのことに彼らは気づいていないのです。」

『大人にはわからない日本文学史』高橋源一郎/岩波書店より引用

恋空…2005年、携帯Webサイト魔法のiらんどに掲載された「ケータイ小説」
蒲団…1907年に発表された田山花袋の小説。日本の自然主義文学を代表する作品のひとつとされる。

Q 自分が書いたものを読み返してみました。でも、これはきっと、誰かをものすごく不快にしてしまうと思います。誰かをものすごく馬鹿にしてしまっています。炎上して、色んな人に叩かれてしまうと思います。怖いです。

「たましいのフリークス(奇形)がいること、をわたしたちは忘れてはならない。そして、その、たましいのフリークスの呟きを聞くことのできる耳を持たなくてはならないのです。」

「これを読んで、たくさんの人が怒りました。あの、美しくも尊い、日本の古典を冒瀆するのか、と。伝統を侮辱するのか、と。しかし、それは、冒瀆ではなく、侮辱でもなかったのです。わたしは思いました。これは、小説だ、と。」

『一億三千万人のための 小説教室』高橋源一郎/岩波書店より引用

Q 概要欄を読みました。受賞しても出版を保証できないってありました。むしろできないでしょうって、ありましたよ。あまりにも無責任じゃないですか。どこの誰かもわからないあなたに読んでもらって、いったい何の意味があるんですか。なんでこんな賞やったんですか。無責任!

「では、僕の「言語表現法」はどうやって思いついたのでしょうか。秘密をばらしてしまいますね。
東京の渋谷に「109」というファッションビルがあります。たくさんの、若い女の子向けのファッション・ブランドが入ったビルです。どうして、ぼくがそこに行ったのかは訊かないでください(笑)。「109」の、いろいろなテナントを見ていて、突然、気づいたことがあります。どのショップにいる店員の女の子たちも、みんなキレイなんですよ。どうして、美人ばかりなんだろう。やっぱり、面接で美人ばかり採用するんだろうか。まあ、ふつうはそう思います。っていうか、そんなバカなことを考える人はあまりいないんじゃないでしょうか(笑)。でも、ぼくは、その疑問を解きたいと思いました。そして、店員の女の子たちに、次々、質問してみたのです。どうして、あなたたちはみんな美人なんですか、って。どうも、ナンパと勘違いした人もいたようでしたが(笑)、みなさん、きちんと答えてくれました。そして、みんな同じ答えなんです。わかりますか?
こう答えてくれたんです。「ああ、それはたぶん、いつも人に見られているからだと思います」って。いつも人に見られているから緊張している。少しでも、よく見られたいと思う。そういう気持ちをいつも抱いている。だからキレイになる、というわけです。「だから、やめるとブスになります!」って。」

『答えより問いを探して』高橋源一郎/講談社より

※主催者注
「言語表現法」…高橋源一郎さんが明治学院大学で受け持っていた講義のこと。

Q これきっと、出したら炎上しちゃうと思います。炎上しそうだ…って理由で落ちたりしませんか。

「山田:そう。村上龍とか私が出てきたときなんて顰蹙の嵐だったじゃない。しかも良識あると思い込んでる人たちに。でも、今、思うと悪いことじゃなかった。近頃は皆、小説家に対して物解り良すぎ。
高橋:でも、どうやったら顰蹙買えるんだろうね。
山田:顰蹙って才能だからね。優等生が買おうと思っても買えるものじゃないじゃん。
高橋:そうなんだよね。」

『顰蹙文学カフェ』高橋源一郎 山田詠美/講談社より引用

Q 賞は公正にやってもらえますか。

「人間が選ぶ「賞」である以上、公正なはずもない。」

『平凡王』高橋源一郎/角川書店より引用

Q なんだこのQ&Aは。引用ばかりじゃないか。ちゃんと自分の言葉で説明しろ。

「私はいつも引用ばかりしてきました。ということはつまり、私はなにも創出しなかったということです。私はいつも、本で読んだりだれかから聞いたりした言葉をノートに書きとり、そのノートを手がかりにして見つけたいくつかの事柄を演出してきたのです。私はなにも創出しなかったのです。」

『映画史Ⅱ』ジャン・リュック・ゴダール/筑摩書房より引用

「compose:be composed of something to be formed from a number of substances, parts, or people」
「composer:someone who writes music」

『Longman Dictionary of Contemporary English』pearson より引用
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